人を信じるということ

私は人を信じやすい傾向にあります。
都合よく解釈して、その人のこと、
その人を信じる自分のことを正しいと
思い込むことが多いように感じます。

昨日、人に騙されました。
相手は初対面の職人風のおじさん。
よく日焼けをしていて、大きな眼鏡をかけていて、
白髪混じりで笑顔が優しい痩せたおじさん。

散歩の道中で「あの…すみません…」と声を
かけられました。
道案内か何かかと思い、話を聞いてみると

「現場仕事のあとバスで帰ってきていたのですが、
 うっかり寝過ごしてしまいまして…
 慌ててバスを降りたら鞄をバスに置き忘れて…
 財布も携帯も身分証明できるものも、
 何もかもなくて西の方から歩いてきたんです」

その西の方からの道はアップダウンも激しく、
おじさんは汗だくで息を切らしていました。

「◯◯(東へ10km以上)まで戻りたいのですが、
 電車にもバスにも乗れず…
 身分証明書がなくて交番でもお金を貸してもらえず…」

いかにもしんどそうなおじさんに、
私は同情し、よくないと思いつつも500円だけ
お渡ししてしまいました。
それだけあれば、電車ですぐ帰れるはずです。

おじさんはひたすら頭を下げて、
去っていきました。

しかし、偶然にもそこは私の散歩の折り返し地点。
少し迂回しながら来た方向へ帰る途中、
見てしまったのです。
おじさんがコンビニにいるところを。
そして、恐らく缶コーヒーとタバコを買い、
駅とは違う方向へ歩くのを。
しかも、元々歩いてきたという西へ。

運の悪いことに、西方向は私の帰る方向。
こんなことしちゃ悪いな…と思いつつ、
私は後をつけてしまったのです。
※ちょうどPS4て発売される
「JUDGE EYES死神の遺言」の体験版も遊んで
 いたので、キムタク気分で調子に乗っていたのも
 あります。物陰が青く光って見えました。

おじさんはぐんぐん西へ進み、
公園の方へ向かっていきました。
それを囲い込むように別ルートで周囲を確認。
どうやら、公園から出てくる様子はない…
意を決しておじさんとは真逆の方向から
公園へと向かいました。

するとそこには、
満足げにタバコをふかしながら、
コーヒーを飲むおじさんの姿。
正面からばっちり目があってしまいました。
思わず会釈。

「いやぁ…先程はありがとうございました。
 もうくたくたで…おかげで帰れます。」

ばつの悪そうな苦笑いで私に声をかけてきました。
くたくたならまっすぐ帰れよ!という
ツッコミもできず「お気をつけて」と
私はその場を去りました。

きっとそうやって生きている人なんでしょう。
野放しにしておいていい人でもないでしょう。
私にはどうすることもできませんでした。

信じると言えば聞こえはいいですが、
単に人に流されて生きているとも思えます。

流されて裏切られて傷ついて…
でもそこに自分の強い意思もなく、
相手を攻めたり恨むこともできない。

恋人との喧嘩にも、
どこかそんな私の悪いところが
出ているのかもしれません。

「私にとって薬は絶対なんだ。
 だから夕食を欠かすわけにはいかないんだ。」
「寝る前の薬は副作用が強いんだ。
 だから朝起きるのは辛いんだ。」

私の意思を伝えず、
相手は何でもわかってくれている、
心から信頼できると信じていました。

今度会うときはちゃんと伝えよう。
そうしなければ、結局一人で凹むだけ。
それでも相手が私を攻めるなら、
一緒にいることはできないのでしょう。

抑うつの私には少々厳しいものがありますが、
自分の意思をもって、
きちんと伝えるべきことを伝え、
そのうえで人を信じられるように。
…なれるのだろうか。

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